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プロフィール


プロフィール
理念
経歴
最高裁等における裁判の実績
プロフィール2

坂本弁護士の顔写真
弁護士 坂本秀德
 1986年 弁護士登録
 熊本県弁護士会所属
 早稲田大学法学部卒業
趣味
 写真(写真集出版、個展開催)、登山(阿蘇、くじゅう、北アルプスなど)、日本画鑑賞、映画、音楽、読書、
妻との会話(?)など
信条
 暖かいけど、色々な意味で鋭利でいたいと思います。


理念

1 当事務所は、生命と人間存在への深い共感をもとに、
① ご相談に来られる方々との出会いを大切にします。
② 何事も誠実、ていねいに対応し、皆様に十分満足して頂けるような的確なリーガルサービスを提供致します。


2 偶然か必然か、私達は137億年の歴史を有する広い広い宇宙の中の、「地球」という星の、「この時代」に生まれて
来ました。 そして、皆それぞれに、存在の不思議を感じながらも、限られた時間を生きて、この一瞬の生命を輝かせ
ようとしています。無常(変化、移ろい)の中で、それでも輝こうとしています。
 ただ、現実の社会生活の中では、私達は否応なく色々な事態に出会って、不安になったり、 悩んだり、あるいは
もっと深刻な紛争やトラブルに巻き込まれたりしてしまいます。
 当事務所は、そのような皆様の不安やトラブルの速やかな解決のお手伝いをして、 皆様がそれぞれの人生の本来の
目的や意味をよりよく全うできますように、少しでもサポートさせて頂ければと考えております。
 当事務所は、業務の熱心で誠実な遂行によって、皆様方の安心と社会の調和の実現を目指します。


3 ご依頼を頂いた皆様との十分な意見疎通を図りながら、適正な事案の解決とアドバイスに全力を尽くします。

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経歴


  • 熊本県弁護士会会長(平成24年度)
  • 日本弁護士連合会理事(平成24年度)
  • 九州弁護士連合会常務理事(平成24年度)
  • 熊本県弁護士会常議員会議長(平成23年度)
  • 熊本県弁護士会副会長(平成12年度)
  • 日本弁護士連合会ADRセンター委員
  • 熊本県弁護士会紛争解決センター運営委員
  • 同網紀委員会委員
  • 同業務対策委員会委員
  • 同中小企業法律支援センター委員
  • 熊本県商工会連合会相談員
  • 熊本県商工会連合会創業塾講師
  • 熊本県中小企業特別労働相談員
  • 熊本県警察学校講師(民事法)
  • 大津町都市計画審議会会長
  • 大津町情報公開審査会委員
  • 大津町個人情報保護審査会委員
  • 人吉球磨広域行政組合情報公開審査会会長
  • 熊本大学研究活動不正行為防止対策委員会委員
  • 熊本大学研究費不正使用通報窓口
  • 熊本大学法令違反行為に係わる通報窓口
  • 全国中小企業取引振興協会下請適正取引センター調停人
  • 熊本市オンブズマン条例制定委員会委員(平成22年)
  • 熊本県民テレビ放送番組審議会委員(平成14年~17年)
  • エフエム熊本番組審議会委員(平成9年~11年)


最高裁等における裁判の実績


1. 最高裁 平成元年1月20日判決

市議会議員選挙において次点と判断された候補者について、選挙管理委員会に対する審査請求において同点とし、
さらに当選確認訴訟において逆転勝訴し、当選を獲ち取る。


2. 最高裁 平成11年3月11日判決

金融関係での支払期日と休日該当日の取扱いについて、広島高裁判決を逆転して勝訴し、支払期日と休日該当日の
取扱いについての最高裁の新判例を獲ち取る(判例時報 No.1673-80)。


3. 最高裁 平成18年1月13日、同年1月19日、同年3月30日判決

貸金業法43条(みなし弁済)関係で期限の利益喪失条項と支払の任意性の重要問題につき、業者側で訴訟を担当
(いわゆるグレーゾーン否定判決、判例タイムス No.1013-106 など)。


4. 熊本地裁 平成24年7月20日判決、
   福岡高裁 平成24年12月26日和解成立

プロの山岳ガイドが催行した白馬岳登山ツアーで、参加者の中高年の女性4名が低体温症により遭難死亡した事件に
ついて、プロガイドの損害賠償責任を認める全面勝訴判決を獲ち取る(プロガイドの安全配慮義務、ツアー登山・中高年
登山の問題点、防寒装備と天候予測義務、低体温症への対応など。判例時報 No.2162-111)。




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1 弁護士会への入会と活動分野について

(1) 私は、熊本県大津町出身で、早稲田大学法学部を卒業後、司法修習(38期)を終え、1986年(昭和61年)に熊本県弁護士会に入会しました。


(2) 私の弁護士としての活動分野は、企業法務、金融法務(カード会社、金融会社など)、契約関係全般、不動産関係、
損害賠償、遺言・相続、離婚、負債整理、その他の民事事件などで、かなり幅広い分野に及んでいます。詳しくは、
「取扱業務」の欄をご参照下さい。
 その中でも、私は、これまでは特に金融法務の分野で、会社側で最高裁の新判例を獲ち取る等して長年に亘り力を
尽くして来ました。
 また、損害保険会社各社からも、長年に亘り信頼と事案のご依頼を頂いて、多数の案件に対応して来ました。
現在でも、交通事故のスペシャリストとしての研鑽を積んでいます。
 最近の珍しい案件としては、プロの山岳ガイドが催行した白馬岳登山ツアーで、参加者の中高年女性4名が低体温症により遭難死した事件について、これまでの登山の経験を活かして現地調査を3回実施する等して、プロガイドの損害賠償責任を認める全面勝訴判決を獲ち取りました。


(3) 仕事面では、ご信頼を頂いた皆様方のために、これまでの豊富な知識と経験を活かして、本質を突いた的確で適正な 処理ができるように心がけています。
 ただ、一方では、事案の解決にあたっては、人間としての暖かさや、人間という存在自体についての思いやりも大切にしたいと思っています。
 私がこれまでにこのような広範な活動と実績が出来ましたことも、広く皆様方の信頼とご支援によるものと、心から感謝致しております。


2 弁護士会の会務活動について

(1) 私は、弁護士会の会務については、平成12年度に熊本県弁護士会副会長、平成23年度に同常議員会議長、平成24年度に 熊本県弁護士会会長、日本弁護士連合会理事、九州弁護士連合会常務理事等を務めさせて頂きました。


(2) 特に、平成24年度は、弁護士会会長として、「親しみのある元気な弁護士会!」をキャッチフレーズとして、
会活動の活性化と発信力の強化を政策目標に掲げて全力で活動しました。

① まず重要だったのは、「法曹養成制度問題」(法曹人口、法科大学院制度、給費制の復活、司法試験制度その他)に対する取り組みです。
 この点については、従前の法曹養成フォーラムは解散して、法曹養成制度検討会議において審議が続けられていましたが、当会や九弁連においては会員にアンケートを実施して会員の意見を把握し、九弁連は同会議の各回の議題に沿った形で九弁連理事長声明として同会議に意見書を提出してきました。また、政治過程に対する働きかけとして、同検討会議の委員である谷川弥一文科副大臣や坂本哲志総務副大臣、南高愛隣会の田島良昭理事長らと面談し、弁護士の実情を説明する等の活動も実施してきました。
 これらの活動を通じて私が痛感したのは、日弁連や当会の政治的チャンネルの無さと、政治的な運動論の拙さです。
今後は日弁連も地方の単位会も一体となって、戦略的に政治過程への働きかけを強めていくことが絶対に必要だと思います。

② 次に、力を入れたのは「対外広報戦略の強化」です。

   弁護士や弁護士会は大変良い活動をしているのですが、100年経っても敷居が高いという悪いイメージのままの状態ですので、アクセス障害になっています。そこで、対外広報戦略PTを設置して約24回会議を開催し、

  • 電通九州とも協力して、熊本弁でインパクトがあってユーモアもあるテレビCM3本(考える人シリーズ、相続 遺言編・離婚編・交通事故編)とイメージCM1本(Answer編)を制作し、KABとKKTで年間約480本放映しました。
    また、パブリシティ広告(無料放送枠)も制作しました。 YouTube熊本県弁護士会公式チャンネルをご覧ください。
  • 制作したCMについては、下通入口に設置されたWAOビジョンに無料放映をしたり、ホームページにアップをしたり、YouTubeに当会の公式チャンネルを 設けて投稿したりして、一層の広報の工夫をしました。今後はFacebookページの作成も検討すべきだと考えています。
  • 次に、当会のホームページについても、全面改訂をして見やすく分かり易いように工夫し、市民の皆様への告知や会員への情報提供にも役立つようにしました。
  • その他、熊日新聞への月2回のAnswer編広告の掲載、「熊本市生活便利ブック」や「くまもと経済」への広告掲載を実施し、当会広告のイメージ浸透を図りました。
  • また、熊日新聞の「法律相談コーナー」の復活も実現しました。

  このような対外広報戦略は一朝一夕で効果を発揮するものではありませんので、今後も色々なアイディアを出して継続的に広報をしていく必要があります。

③ その他については紙数の関係で詳しくご説明できませんが、箇条書にすると次のような活動にも力を注ぎました。

  • 研修の強化(従前の個別分野での研修に加え、業務対策研修会と経験交流会の実施)、
  • 専門士業団体連絡協議会の活性化と連携強化(合同相談会及び大懇親会等の実施、熊本県との大規模災害相談対応の協定書締結)、
  • 会内情報の共有化(執行部だよりに加え合計5回の会長だよりを発行、会報の増刊)、
  • 相続遺言センターの設置、
  • 中小企業安定化法終了に伴う対応と研修、
  • 不祥事事案の予防対策(市民相談窓口の強化、預り金処理規程の検討)、
  • 会内親睦行事の実施(夏のBBQ大会、冬のボーリング大会・懇親会)など

④ 私は、弁護士会会長、日弁連理事、九弁連常務理事として活動させて頂く中で、色々な機会に、色々な場所に出掛けて、今までに知らなかった多くの場面に出逢いました。そして、弁護士や関係者の方々など、色々な考え方の多くの人達に出逢いました。
 そこには、人権活動に全力を傾けている方々、国政に情熱を持って傾けている方、少年の更生のために力を尽くされている民間の方々、その他の関係機関の方々など、多くの方々が、この世の中を少しでも良くしようと、それぞれの分野で清い志を持って活動しておられることを肌で感じて、とても貴重な経験になりました。
 また、このような多くの活動と経験は、私にとってもあらためて弁護士としての在り方や人間としての生き方、自分の人生の原点を見つめ直すための良い機会となりました。
 私はこれらの貴重な経験を活かして、今後も弁護士として精一杯の活動をして行きたいと思っています。


(3) 私は、その他の弁護士会の活動については、①業務対策委員会、②紛争解決センター(ADR)運営委員会、 ③非弁行為取締委員会、④日弁連ADRセンターに所属して、主に弁護士や弁護士会の業務対策に力点を置いて活動をしてきました。
 特に、弁護士会紛争解決センター(ADR)については、運営委員会の中心メンバーとして企画、立上げから運営までこれまでかなり重点を入れて活動をしてきました。
 弁護士会が主催する紛争解決センターについては、従来の裁判システムの欠陥を克服して合理的で柔軟な紛争解決が出来るものとして現在全国的にも金融ADRや原賠ADRなどで大変大きな注目を浴びているところですが、私は自分のライフワークのひとつとして、この紛争解決センターを是非とも裁判所と肩を並べるような「熊本の民間裁判所」にまで育て上げたいと考えています。


(4) 私が以上のように弁護士会会務についてかなり積極的に活動するようになったのは、15年前に大病をして、生死と向き合い、真剣に自分の存在と人生における自分の役目を見つめ直したことがきっかけです。
 私は、病気をきっかけとして、自分がどこまで出来るか分からないけれども、「明日死んでも悔いがないように」、迷いながらも、この一日一日を、この一瞬一瞬を悔いがないよう真剣に生きていこうと「覚悟」を決めました。
自分の生き方、仕事、家庭、弁護士会の会務活動その他、自分の人生について、真剣に見つめ直しました。
 そして、会の活動についても、今まで自分もある程度年齢を重ねたからといって少し距離を置こうとしていたことを反省し、自分がこの世に生まれ、弁護士となって活動している以上は、自分としても弁護士会の活動にもっと力を注げるものがあるはずだ、これからは出来るだけ弁護士会のために力を注いでいこう、自分の存在意義を全うしよう、そう思い直して、熱意をもって活動を続けてきました。
 現在弁護士人口が激増し弁護士会には様々な課題が突き付けられています。特に業務対策や職域拡大の問題は喫緊の課題となっていますが、私は、以上のような業務対策関係でのこれまでの経験と知識を生かし、今後も熱意をもって当弁護士会を希望のある弁護士会にしたいと考えています。
 私も人並みに欠点の多い人間ではありますが、芯は強いので、信条がぶれたり急変したりすることはありません。
弁護士会の方向性として掲げたことについては、必ず実行出来るものと考えています。


3 私の趣味について

  私は、以上のような覚悟をもって、仕事も、弁護士会の活動も、家族関係も一生懸命取り組んでいますが、一方で、趣味としては、山登り、写真、日本画鑑賞、映画、読書、音楽などにもかなり一生懸命打ち込んでいます。


 (1) 山登りについては、普段は休みの日にくじゅうや阿蘇などの九州の山を中心に登っていますが、本州に遠征し、北ア ルプスを3泊4日で縦走したり、また、北海道の大雪山を縦走したりしています。いずれも必ず単独行です。
  山の雄大な風景のすばらしさは勿論のことですが、「頬に風を感じながら一人大自然の中に佇んで、自分の存在と今生きていることを心から実感できる」ことは何とも幸せなことです。


 (2) また、写真は、風景写真で、私の趣味の中でも一生の趣味として最も力を入れているものです。
  平成18年には写真集を出版し、幸いにも「熊本日日新聞社マイブック出版賞大賞」を頂くことが出来ました。
  現在も、休みの日はかなり精力的に撮影に出掛けていて、ホームページでは毎週「写真ブログ」をアップし、平成26年7月現在で約2,100枚までになっています。将来的には、東京で3度目の個展を開催し、且つ中央の出版社から全国レベルでの新しい感覚の写真集を出版することが出来ればと考えています。
  なお、私が病気や山や写真を通じてこれまで考えてきたことについては、別紙の新聞記事や、別紙の写真集の前文をお読み頂ければ幸いです。


 (3) 日本画も大好きで、上京した際には、国立近代美術館や山種美術館などを訪れます。川合玉堂の「行く春」など、とても感動します。
  映画についても、夫婦で映画が大好きですので、年間でかなりの本数の封切り作品を夫婦で一緒に見ています。


 (4) 音楽についても、iPadを購入したことがきっかけで、KARAや少女時代、T-ARAなどのファンとなりましたが、現在ではいつも全力パフォーマンスの「ももいろクローバーZ」にはまっています。彼女らの全力さ、ひたむきさを見ると、本当に日本も、私達も元気になれると思います(平成26年7月現在)。


4 まとめ

    以上のとおり、私は大病を経験したことから、その後は「覚悟」を決めて生きてきました。
限りあるこの一日一日を大切に、仕事に、弁護士会の活動に、そして、家庭に、趣味にと、自分なりに一生懸命、ひた向きに生きてきました。いつも生死を思いながら、しかし、生死に拘ることはなく。
 この「覚悟」は、今後も変わることはありません。そして、私はこの覚悟のもとに、これからも自分の人生を全うさせます。



理念イメージ




それぞれの北アルプス


出発(たびだち)の朝




「頼れる身近な弁護士」(法律事務所ガイドブック2013) (2013.05.27)

  游学社という出版社から、「頼れる身近な弁護士」法律事務所ガイドブック2013(A4版、155ページ、1,200円)という本が出版され、私の事務所に送付されて来ました。
   この本は、「気軽に連絡出来て誠実に対応してくれる弁護士を、どう探せばいいか」という問題意識の下に出版された本で、弁護士の仕事の内容や各法律分野についての解説がなされたうえ、最後には全国の弁護士約3万2000人のうちの中から126名の弁護士が紹介されています。
  熊本県内では、私の事務所が、頼れる身近な事務所と紹介されていて、光栄なことです。

 弁護士は依然として敷居が高いというイメージのままなので(実際に話をしてみると全然そんなことはないのですが)、それでこの種の本が企画されるのでしょうが、個々の弁護士としてもアクセス障害の解消のために日々具体的な努力をしていく必要があります。
 そして、今後の益々の弁護士数増加の状況下おいては、経営的にも、従前のやり方をなんとなくそのままということではなくて、個々の弁護士がどのような視点と戦略を持って、またそれを実践、努力できるかによって、将来的には事務所間で大きな差がついていくことでしょう。

熊日新聞「人生の輝き追いかけ」



サムライ業インタビュー

(平成25年2月 中小企業家同友会)

「くまもと創造プラザ‘83」での講演 (2013.06.01)

 平成25年5月30日午後6時から、全日空ニュースカイホテルで、「くまもと創造プラザ‘83」の会に講師として招かれ、「人生の輝き」というタイトルで約1時間ほど講演をさせて頂きました。 この会は、1983年に設立された30年の歴史を持つ異業種交流の会で、様々な経営者の方が参加されています。

 私の講演の内容は、熊本での弁護士の状況や現在の法曹養成制度の問題点、当会のTVCM戦略について15分ほどお話をさせて頂いて、その後に、本題の「人生の輝き」についてお話をしました。

 会社経営の先輩方が大勢おられる中で、私が人生について語ることはおこがましいことではありますが、私もこれまでに病気や写真や山を通じて様々な体験をして来て、それなりに深く考え、そして感じて来ましたので、率直に色々とお話しをしました。
 その内容は、要はこのブログのNo.74の「いのちを語る」と同じことで、①人は、単なる知識としてでなく、自分の体験を通して死を本当に自分の問題として真剣に考えて、死と向き合った時に、本当に大切なものは何かと考えて、その中から「生き方の革新」が始まります。②生きる意味に答えはないけれども、迷いながらも思い煩うことなく、人生での自分の確かな物語を作って、生きていることの素晴らしさを感じて、このかけがえのない一日一日、一瞬一瞬を全力で生きて行くこと、③そうすることで、生死にとらわれない生き方、いつ死んでもいいという覚悟を持った生き方が出来て、楽しい充実した毎日となります。人生が輝きます、などというものです。

 写真についても、畳大以上の大画面のカラー写真を4枚準備して、撮影意図やエピソードなども交えてお話をさせて頂きました。 その後は、懇親会にも出席させて頂き、多くの方に声をかけて頂きました。

 「生き方の革新」について、少しでも感じて頂けたのであれば、幸いなことだと思います。

「キャンパスに佇んで」(大学校友会の会報) (2013.03.05)

 早稲田大学校友会熊本県支部から、3月発行の会報で800字で早稲田について何か書いて欲しいとの原稿依頼がありましたので、次のように書いてみました。校友会用なので少し感傷的なタッチですが、年齢を重ねての私の率直な感想です。

「キャンパスに佇んで」
1 私は、大学卒業年の6月頃に自分の進路を選択して、弁護士を目指して司法試験合格を目指すことにしましたので、大学を卒業した後も、アルバイトをしながら当時法学部の4階にあった読書室で勉強を続けました。
 読書室は朝8時から夜9時まで開いていて、卒業後は、昼と夜の食事とカップコーヒーでの休憩、そしてアルバイトの時間以外は、殆どの時間をここで過ごしていました。自分としては情熱を持って目標達成に向けて精進をしていたつもりではありますが、他方で、当時の司法試験の合格率は1.7%という難関で途中で諦める人も多く、果たして合格できるだろうか、自分の人生はどうなるんだろうかという不安にも包まれた、ほろ苦い日々でもありました。

2 このように、私は普通よりも早稲田のキャンパスで過ごした時間が長いので、早稲田のキャンパスにはとても深い愛着を持っています。
 子供が早稲田に通っていた時も、そして仕事で東京に出張した時も、時間を見つけてはよく早稲田のキャンパスを訪れました。法学部、商学部、社学部等は新しい校舎に建て替わっていますが、キャンパスに佇み、建物や木々の佇まい、行き交う学生らの姿を見ると、一瞬にして、大きな不安を抱えながらも目標に向かって頑張っていた青春の日々が蘇ってきます。
 キャンパスに佇んで静かに時を過ごすことは、本当に大切で貴重なものです。自分の人生の原点とその後の生き方と、不安と希望と、そして時の流れとを感じて、改めて自分にとっての大切なものを想い起こさせてくれるのです。いいですね。早稲田のキャンパスには、こんな力があるんですね。一生私を支えていてくれる。

3 早稲田で色々な出来事に出会い、色々な人に出逢って、色々な経験をして、私の人生の根っこの部分ができました。そして、卒業後も校友会に参加させて頂くことになって、さらに貴重な出逢いの場が重なっていきました。そんな大切な場所と機会を与えてくれた早稲田は、私の誇りでもあり、また感謝の対象でもあります。
 「ありがとうございます、早稲田大学」

「愛のシステム」


生命のことを感じていると、仕事での話しにもそれが出てきます。
私は市民の皆さんに講演や挨拶をする時に、よくこんな話をします。
(ホームページの事務所ニュース2012.6.6と同じです)



「① さて、突然ですが、皆さん、人類最大の発明は何でしょか?
暫く時間をおいて考えて頂くと、いかがですか。人類最大の発明は何だと思われますか? ある人は、エジソンの電気と言うでしょうか、いや現代でしたらやっぱりパソコンでしょうか、iPS細胞でしょうか。ちょっと気の利いた人は、言葉と概念であるというかもしれません。いい答えですね。人間はまさしく概念の動物ですから。
 でも、法律家である私はこう答えます。人類最大の発明は「人権」です。人権なしには、我々は一人の人間として尊重される生活を送ることができません。人権なしには、人間は人間とは言 えないのです。
 今は私達は当たり前のように、自由に考え、発表し、好きな所に住んで、好きな仕事をしてい ますが、この僅か70年前でさえも、このような自由は保障されていなかった訳です。このように自由に考え、発表するということも、先人達が長い長い歴史をかけて、それこそ必死の思いで生命と血と汗を流して獲ち取って来た成果であって、まさしく人権は人類最大の発明だと思います。        

② では、その「人権」とは何でしょうか。「人権」って、簡単に言うとどういうことでしょうか。
大学での憲法の授業では、人権の本質は「個人の尊厳」といいます。でも「個人の尊厳」と言っても、どうですか、ピンときますでしょうか。また、憲法の教科書には、人権の根本原理は 「人格価値の尊重」という説明もしてあります。しかし、人格価値と言っても、これも今ひとつピンときませんよね。
  「人権」とは何か?人権とは、それは「愛」なんですね。我々一人一人が、生きているかけがえのない唯一の存在として尊重されることを人権というのですから、それはまさしく「愛」の考え方なんです。
  人権や法律が愛の体系だなんて驚きではないでしょか。人はよく六法全書に「愛」という字はないと 言いますが、私はこれは違うと思います。憲法と法律は、人々一人一人のかけがえのない大切さを思い、人々の幸せを実現しようとしている「愛のシステム」なんです。

③ この愛の考え方は、大きく言うと、生命誕生から現在までに繋がる大きな生命の流れの貴重さと偉大さということだと思います。
  考えてみますと、我々の宇宙は137億年前にビッグバンによって誕生し、46億年前に宇宙の片隅 の銀河系に小さな地球が誕生し、4つのDNA情報の組合せによる生命体系が誕生し、700万年前に人類が、約23万年前に新人類(ホモサピエンス)が誕生し、我が国では1万年の縄文時代を経て、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、そして平成の現在と私達は悠久に繋がり連鎖する大きな生命の流れの中にいます。20代前の私の先祖が夫婦として出逢わなければ、今の私は存在しないのです。10代前の私のおじいさんがどこかで遅刻していたら、今の私は存在しなかったかもしれません。今の私に繋がるどの前提条件のひとつが欠けても、私は存在しなかったのです。
  私の存在の因果は説明することはできませんが、まさしく私達の存在と命は、不思議な縁の、貴重な、 奇跡的な存在なのです。宇宙の片隅の地球という星の、しかも奈良でも平安でも江戸でもなく、昭和と平成というこの時代に生まれて、僅か0.1ミリの1個の受精卵が、5億匹の競争の中から1個に合体し、やがて60兆個の細胞を有する生命体に成長し、毎日3000億個もの細胞を入れ替えて、命を燃やし続 けているのです。なんて素晴しいのでしょう。
  しかも、私達はこの世に生を受けて、僅か数十年しか生きていられない限られた存在です。 限られた生命という宿命を負いながらも、私達は必死で短い命を輝こうとしているのです。この世に生まれ た意味を味わっているのです。人間って、何て貴重で、奇跡的で、不思議で、素晴しい存在なんでしょう。 まさしく、我々一人一人は、かけがえのない今を生きる存在として、ありのままでそのままで、尊重に値すると思うのです。

④ 以上のように人権とは愛であると考えますと、市民生活の現場において、人々の幸せのために人権擁護活動をされている皆様方はまさしく「愛の伝道師」、「愛の実践者」といえるのではないでしょうか。 これって、先生方、何か格好良くないですか?人は、いつか年を重ねると、改めて自分の存在の意味や仕 事の意味などについて向き合うときが来ます。そして、本当に自分と向き合って、大きな生命の流れの中 での自分の生命と存在の意味を再認識した時に、本当に大きく立ち上がって行けるのだと思います。人権 に関係している私達は、自分達の役割が、紛争を解決し、愛を実践することだと再度認識する必要があります。
  愛の反対は、怒りや憎しみ、苦悩と不安という感情です。どんな冷静な当事者も、自分が紛争の当事者になり紛争の渦中に巻き込まれると、このような負の感情に満たされてしまいますから、皆様のお仕事も必ず解決が難しい場面に出逢います。私達弁護士もそうです。でも、そんな時こそ、是非とも「人権は愛である」、「自分達は愛の実践者である」との認識を以て、大きな生命の流れの視点を以て、問題解決に当たって頂きたいと思うのです。
  弁護士会も人権擁護のために頑張ります。弁護士会と協力して、人権を擁護し、愛のある世界を実現しましょう。皆が、あぁ生まれて良かったと思えるような、生きる意味を十分味わえるような、そんな社会を一緒に作り上げていきましょう。 皆様の益々のご活躍を心から祈念致しております。」

弁護士会会長の任期終了 (2013.04.02)

 思えば、多くの皆様のご支援とご支持を頂いて昨年2月の激戦の選挙を勝ち抜いてから、あっという間の一年余りでした。
 
  昨年3月からは、合同執行部会に参加すると共に、対外広報の戦略を構想し、資料等の情報も集めて助走をしていました。
  そして、会長となった昨年4月からは、「親しみのある元気な弁護士会」をキャッチフレーズに、弁護士会の会活動の活性化と発信力の強化を目標にして、自分としては精一杯活動をして来ました。その甲斐あって、当初政策目標として掲げた、法曹養成問題に対する取組みや対外広報戦略の強化、研修の強化、専門士業団体連絡協議会の活性化、会内情報の共有化等々の課題については、かなりの効果を上げることができたと思います(詳しくは、2013.3.1の欄をご参照下さい)。
 本当に多忙な日々で、会務に関係した会議、会合、シンポ、懇親会などの回数は年間約230回で、これらのうち挨拶をしたのが約70回位ありました。
 日弁連の理事会では多くの先生方と出会うことができました。今年は九弁連の活動もすばらしいものでした。執行部の先生方、会員の先生方、事務局の皆様、そして応援と支援をして頂いた皆様、本当にありがとうございました。

 とても忙しかったけれども、目標に向かって活き活きと生きれて、本当に楽しく充実感のあった一年でした。色々な機会に、色々な場所に出掛けて、今まで知らなかった多くの場面に出逢いました。そして、色々な考え方の多くの人達に出逢いました。本当に勉強になりました。
 そして、この世の中を少しでも良くしようと、多くの人達が清い志を持って色々な分野で活動しておられることも、肌で感じ良く分かりました。

 この一年間の貴重な経験を生かして、またあらためて仕事に弁護士会の活動にプライベートにと目標を設定し直して、この限られた人生を、楽しく、精一杯生きて行きたいと思います。
 今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。

会長任期終了の慰労会 (2013.04.05)

 平成25年4月5日午後6時から、下通り「つづら」において、坂本の弁護士会会長任期終了の慰労会と、坂本を支えてくれた事務スタッフの慰労会を開催しました。

 一年間弁護士会の活動に全力で取組んだ坂本と、坂本を心強く支えてくれた事務スタッフに、感謝の気持ちを込めて春色の可愛い花束を贈呈し、ささやかな慰労会を開催しました。

 ベテランスタッフのTさんは、どんな時でも冷静沈着、的確で迅速に仕事の処理ができる有能な方です。
 若いスタッフHさんは、坂本が力を注いだ会員への情報共有化のために発信した「会長だより」の第1号~第6号までの作成等を、根気強く支えてくれました。この一年で責任感の強い、本当に頼りになる存在として大きく成長しました。坂本も、優秀なスタッフの心強い支えがあったからこそ、多忙を窮めた会務にも的確に取組めたのだと思います。スタッフには心から感謝しています。

 坂本は、会長として多忙を窮めたこの一年間、人生における幾度目かの熱い青春を無我夢中で過ごしていたように思います。それも、自分のためではなく、人のために、社会のために全力を尽くす、命を燃やすという清く純粋な志を持って。坂本にとっても、弁護士会の会長として多くの活動と経験をする中で、あらためて弁護士としての在り方や、自分の人生の原点を振り返り見つめ直すことができて、とても大切で貴重な時間だったと思います。

 一年間全力で精一杯走り続けた坂本の悔いのない生き方に、敬意を込めて、心から「お疲れ様でした!」と労いの言葉をおくりました。充実感に満たされた、和やかな雰囲気の慰労会でした。(ガーデン担当:hakko)

白馬岳遭難事故に関する完全勝訴判決 (2012.07.25)

坂本が遺族側代理人としてプロの登山ガイドを被告として山岳遭難事故についての損害賠償を請求していた訴訟で、平成24年7月20日、熊本地裁は、遺族側の請求を全面的に認容し、プロガイドに約6,140万円の支払を命じる判決を言い渡しました。

この案件は、平成18年10月、福岡のプロガイドが主催した北アルプス登山ツアーの2日目に祖母谷温泉から白馬岳(標高2932m)までのコースを登山中に、吹雪に遭い、7名のパーティ(プロガイド、女性サブガイド、中高年の女性参加者5名)のうち4名の中高年の女性参加者が低体温症により死亡したという案件です。
死亡された参加者の一人が熊本の方であったことから、遺族から坂本にご相談があり、坂本も登山の知識と経験があることから、損害賠償請求事件として受任させて頂くことになりました。

本件訴訟においては、次のような主張をしました。
① プロの登山ガイドには、ツアー参加者の生命身体の安全を確保すべき高度の安全配慮義務がある。
②2日目のコース設定は、祖母谷温泉から白馬山荘まで水平距離役14km、標高差2060m、登山時間約10~11時間という設定で、もともと中高年の女性参加者が一日で登り切るには無理なコース設定であった。そのために、参加者の荷物の負担を軽くするために1日目に防寒装備を下ろしたりしており、また、ハードなコース設定により参加者の体力的消耗が大きくなって、低体温症による死亡に繋がった。
③三陸沖に台風や低気圧がある場合には冬型の気圧配置となり山は大荒れになり、また冬型の気圧配置のうち山雪型の場合は脊梁山脈と風上側で強い雪となる。そして、出発前日の夕方の天気予報では、既に今後は低気圧が三陸沖を本州に沿って北上し冬型の気圧配置となることを予報していたのであるから、プロの登山ガイドとしては当然これらの気象情報を収集確認して天候の悪化を予測し当日の登山を中止すべき義務があったにもかかわらず、安易に「天気は回復するでしょう。」、「どちらにしても行きますよ。」などと言って、気象情報を確認することもなく登山実行の判断をしたもので、明らかに重大な注意義務違反がある。
④また、参加者は前日に登山ガイドの指示により防寒装備を帰りのルートで宿泊予定のホテルに下ろして来ており、防寒装備を準備していない状態であったのであるから、出発の判断は一層危険なものであった。
⑤しかも、コース途中の清水岳付近において、今まで雨だったものが「みぞれ」に変わり、より高度に登れば益々天候が悪化するであろうことが十分予測されたのであるから、防寒装備を準備していないパーティーとしては、この時点で手前にある避難小屋に引き返すべきであったにもかかわらず、登山ガイドは的確な判断をせず、ただ漫然と上に登ることだけを考えて参加者に登山を続行させた。
⑥雨、強風、みぞれ、稜線上の吹き曝しの中での長時間登山、中高年女性の肉体的疲労等の状況を考慮すれば、プロの登山ガイドとしての低体温症発症の危険性を予測して的確な対応をすべき義務があるにもかかわらず、これらに対する何の配慮や指示もせずに、漫然と登山を継続させ、その結果、中高年女性の参加者4名が低体温症により死亡するに至ったもので、登山ガイドには明らかな注意義務違反がある。

これらの主張を立証するため、坂本は、判例や登山関係書籍の調査の他、3回に亘り北アルプスの事故現場に赴き、救助活動に当たられた山小屋関係者からの事情聴取、祖母谷温泉小屋の経営者からの事情聴取、本件ルートの調査(写真約600枚を撮影する)等々の活動を積極的に行いました。

これに対する登山ガイド側の反論は、① 自分に落度はなく、今回の事故は予測できない吹雪によるもので、不可抗力である。②仮に自分に落度があるとしても、ツアー参加者は登山には危険はつきものであることを承知でツアーに参加したのであるから(危険の引受、過失相殺的な考え)、損害賠償の金額は減額されるべきである、というものでした。

今回の判決は、遺族側の天候予測に関する主張を全面的に認め、また登山ガイド側が主張した「危険の引受論」についても排斥して、遺族側の完全勝訴の判決を言い渡しました。

今回の判決は、プロの登山ガイドの責任を正面から認めた判決ですが、①プロの登山ガイドの高度の注意義務、②ツアー登山の問題性、③中高年登山の注意点、④天候予測や防寒装備の重要性、⑤低体温症発症防止への対応、⑥プロガイド資格制度の問題点等々、種々の重要な問題を検討する材料になると思います。

いずれ訴訟が一段落したら、山岳関係の専門誌に本件についての論考を投稿する予定でいます。

白馬岳遭難事故の損害賠償請求事件について福岡高裁で和解成立 (2012.12.26)

平成24年12月26日、福岡高裁で、白馬岳遭難事故の損害賠償請求事件の和解が成立しました。

1.この事件は、平成18年10月プロの山岳ガイドが催行した北アルプスの白馬岳登山ツアーにおいて、中高年の女性参加者4名が低体温症により死亡するに至った案件で、坂本が遺族側の訴訟代理人として損害賠償請求訴訟を提起していたものです。

この案件では、坂本は、これまでの登山の経験を生かして、自ら北アルプスに3回遠征して、今回の登山ルートや事故現場の調査、関係者からの事情聴取等を行い、装備や天候に関する文献調査も行い、論点を組み立て(プロガイドの安全配慮義務の存在、ルート設定・防寒装備・天候予測の不備、一層の天候悪化状況での撤退義務、低体温症発症防止への対応の不備、不可抗力論や危険の引受論への反論など)、詳細な主張立証を積み重ねて来ました。現場撮影した写真は600枚以上に及びました。
その結果、一審の熊本地裁は平成24年7月20日、当方の主張を認めて、全額認容(約6,140万円と遅延損害金)の全面勝訴判決を下しました。

これに対しては、プロガイド側が福岡高裁に控訴をしていましたが、色々な経過を経て、最終的には、プロガイド側が遺族らに謝罪をするとともに、6,500万円の損害賠償金の支払義務を認めるという内容で、和解が成立したものです。

2.今回の判決等は、プロガイドの過失の存否が正面からが争われた事件において、プロガイドの責任を明確に認定した先例的な判決です。また、ツアー登山や中高年登山の問題点、防寒装備や天候予測の点、低体温症への対応等、近時いずれの遭難事故においても問題になっているような多くの特徴的な論点を含むものでしたので、これらの観点からも非常に有意義な判決だと考えています。この判決がひとつの契機となって、日本におけるより安全な登山の実現が少しでも前進することを願っています。
熊本地裁判決については、既に「判例時報」に掲載されていますが、時間ができたら、「山と渓谷」等の山岳雑誌に論考として投稿したいと考えています。

この案件では、訴訟提起以来3年が経過しました。この間、坂本は、遺族の無念の思いを晴らしたいという思いと、二度とこのようなことが起きないようにもっと日本の登山の安全が確保されなければならないとの強い思いを以て、受任事件の中でも特に精力を注ぎ込んで訴訟を遂行して来ました。その結果が、このように全面的に認められる形で終結したことについては、弁護士として本当に深い喜びを覚えています。
普段から山を愛し、山を経験し、深く楽しんでいなければ、今回の事件はこのように完璧には遣り遂げることはできなかっただろうと思います。この意味でも、山をやっていて本当に良かったと思っています。

最高裁判所での弁論 ( その1) (2014.08.14)

 民事事件について、昔は「まだ最高裁がある」と言って、事実関係の争いについても最高裁に上告できましたが、現在事実関係の争いは高裁までとなり、最高裁への上告申立や上告受理の申立ては憲法違反、判例違反や下級審の判例統一の必要性がある場合などに限定されていますので、代理人弁護士として最高裁の法廷に立って弁論する機会は少なく、かなり珍しいことになっています。
 私はこれまで2回、最高裁の弁論に関与しましたので、今回はその時のことをお話しします。

 第1回目は、最高裁(第1小法廷)H11.3.11判決(判例時報、NO.1673-80)でした。

1. この事件は、旧貸金業等規制法43条1項の「みなし弁済」の成否に関するものです。
 「みなし弁済」規定とは、利息制限法の制限利率を超えるけれども刑罰法規である出資法の制限利率を超えない、いわゆるグレーゾーン金利について、所定の要件を満たせば、「有効な利息の支払いとみなす」というものです。
 これは、一方で利息制限法による消費者の利益を守りつつ、他方で貸金業者の経営的なリスクや闇金融の発生防止を目的とした調整的な政策立法でした。
 そして、このみなし弁済の要件のひとつとして債務者に「契約書面を交付」する必要があったのですが、争点となったのは、借入金の分割払の返済期日について「毎月○日」と定められた場合に、その○日が日曜日その他の休日に当たる時に、前日まで返す必要があるのか、それとも休日の翌営業に返せばいいのか、これを契約書に書いてないのは、債務者が迷うから不利益で、契約書面の明確性を欠き、要件である契約書面を交付したことにならない、したがって「みなし弁済」は成立しないのではないか、という点でした。
 この点について、広島高裁は、返済期日が休日に当たる場合には、いつ返せばよいのかを記載しておく必要があり、この記載がないと書面としての明確性を欠き、契約書面交付したことにならないとして、「みなし弁済」を否定しました。
 私の依頼者の会社は当時熊本に本社を置いて全国38カ所位に支店を展開していて、この広島高裁の事件は広島の弁護士さん2名が受任されて担当をされていたのですが、広島高裁で敗訴したことから、本店の顧問である私に事件を担当して欲しいということで、私を主任として、最高裁への上告等の申立てをすることになりました。

2. それで内容を検討することになりましたが、本件は民法上の一般的な争点として考えると、「約定の弁済期日が休日の場合には、その前日までに返す必要があるのか、休日の翌営業日に返せばよいのか」という問題になります。
 何だそんなの物凄く簡単なことじゃないかと思われそうですが、まず民法にはその規定がないのです。民法142条は、「期間」が満了する日が休日に当たる時は、その日に取引をしない慣習がある限り、その翌日に満了すると規定していますが、「期日が休日に当たる時」については規定がないのです。ちなみに、当時の注釈民法では、行政解釈として休日の前日までに返済すべきと解釈されていると記載されていました。判例も調べてみましたが、こんな簡単な争点そうなのに、まだ判断した判例はなさそうでした。
 確かに慎重な人は前日までに返すでしょうし、楽観的な人はそんなの休日の翌日でいいじゃないかと言いそうです。その意味では、広島高裁がいつまでに返済したらいいかよく分からないから、債務者に不利益になると判断したのも1つの考え方だとは思います。
 しかし、事件を受任した私としては、そもそも広島高裁判決のように法17条の要件を厳格解釈するのは立法趣旨からして不当であるということや、返済日については民法142条の準用によって休日の翌営業日に返済すればよいことであって、したがってそのことをわざわざ契約書に記載する必要はない等として、詳細な上告理由書を提出しました。
 そして、かなり期間が経ってから、何と最高裁から弁論期日開催の連絡が来たのです。この間最高裁の書記官ともやり取りをしましたが、最高裁がこの件で弁論期日を開くということは、広島高裁判決を破棄するということですので、本当にびっくりしました。

3. 最高裁の弁論期日当日は、会社の担当役員と2人で最高裁に赴きましたが、まずタクシーで最高裁の玄関前に乗り付けると、守衛の人達が4人位いて、激しくシッ、シッと言った手振りでここに車を止めるなと追い払おうとするのです。
 まぁ、何と威圧的なことと思いましたが、20m先まで行って停車して降りて、正門まで行って事件の当事者であることを告げると、今度は皆さん人が変わったように、手を上げて最敬礼をして「ハッ。どうぞ!」と丁寧に招き入れられました。まずこの豹変振りは面白かったですね。

4. 次に、最高裁の正門からは、事件関係者と代理人だけしか入れません。他の人達、傍聴人は裏門から入って、金属探知機のゲートをくぐってからでないと裁判所の建物内に入れませんので、これはまず驚きでした。
 そして、正門から入って、だだっ広い誰もいない最高裁の庭を正面玄関に向かって真っすぐに担当役員と2人だけで歩いて行く様は、何とも心地よいものでした。逆転勝訴することが分かっているのですから、尚更気分が良い感じでした。

5. 最高裁の建物は、中に入ると、非常にゆったりとした広々とした造りになっていました。廊下の所で待っていると、廷吏の方がやって来て「坂本先生ですか?」と聞かれるので、「はい、そうです。」と答えると、「こちらにどうぞ」と言って、上告人側の待合室に案内されました。
 中に入ると、待合室もゆったりとしていて、重厚な造りの机や椅子があって、先に広島高裁で会社側の担当をされていた先輩のT先生(36期)がおられたので挨拶をして、2人とも初めてのことですので、色々と話しをしながらもやや緊張した気持ちで開廷を待っていました。

6. 暫く待っていると、廷吏の方が「こちらにどうぞ」と言って、法廷に案内されました。最高裁第1小法廷は、5人の最高裁裁判官から構成され、裁判官席はハイバックの椅子で、いかにも威厳がありそうな感じです。
 普通の法廷と違うのは、書記官が2人いて、廷吏も2人いることです。
 代理人弁護士席は上告人側が5席、被上告人側が5席で少し丸い形で裁判官席に向かい合っています。上告人側には主任の私と広島のT先生が、被上告人側には5名の債務者側代理人が着席しました。この事件では、被上告人側は全国で約150名の大弁護団を組んで対抗していましたので、傍聴席にも、やはり珍しいのか30人位の被上告人側の弁護士が詰めかけていました。

7. 席に着いて、まず一番驚いたのが、「あれっ?」と思って見てみると、何と目の前の書記官のうちの一人が熊本簡裁で書記官をしていた顔見知りの人だったのです。向こうは当然分かっていて、私と目を合わせて、ニコッとしていましたが、私は「何で彼が最高裁の書記官としてここにいるんだろう?」と全く不思議な思いでした。
 最高裁の書記官と言えば、我々弁護士の考えでは、書記官の中でも超エリートの人がなるのだろうと思っていましたが、必ずしもそうではないようで、後で熊本に帰って熊本地裁の書記官らに「最高裁でこんなことがあったよ。」と言って尋ねると、「彼は東京に異動の希望を出して行けたらしいです。」と話していました。
 また、この日は依頼会社の担当社員も傍聴に来ていて、その中の一人の人は裁判所の書記官を辞めてその会社に入社した人ですが、「実は自分も最高裁にいたことがあって、(謙遜かもしれませんが)超エリートということではなくて、先輩から引き上げて貰いました。」と説明していました。裁判所も世間並みのことがあるようです。
(ちなみに、私の依頼会社は、これまで社員の中から5名位の司法試験合格者を出している会社で、かなり珍しい会社です。)

8. さて、いよいよ最高裁の裁判官5名が入廷されて、弁論手続が始まりました。
 上告人側の私の方は、事前に詳細な上告理由書その他の書面を提出していましたので、「書面のとおりです。」というごく簡単な弁論で終わりましたが、債務者側の被上告人側代理人らは、最高裁の裁判官に自分達の意見を生で直接伝えることができる機会はめったにあることではありませんので、逆転敗訴することは分かっていても、これ幸いにとばかりに、1人10分以上、5人で約1時間にも亘って、気合を入れて、やれ律令の昔から高金利は悪とされるだとか、貸金業等規制法は憲法違反だとか、全くの政策論や無理な違憲論を長々と弁論されるのです。
 さすがの私も、余りの関係なさに呆れて聞いていましたが、そのうちに5名の最高裁の裁判官たちの表情などの方が面白くなって、じっとその様子を観察していました。中央の女性の裁判長の方は、熱心に身を乗り出すようにして被上告人側の弁論を聞いている様子でしたが、中にはいかにも「もう。そんなこといいじゃないの」という気持ちが表情や仕草に表れている方もいて、私は、「あぁ、裁判官、検察官、弁護士、行政官の各出身者から構成される超エリートであっても、やっぱり人間味があるなぁー。」などと思って、楽しみながら、時間が過ぎるのを待っていました。
 ちなみに、私が最高裁の司法研修所時代に刑事弁護の科目を担当して頂いたF弁護士も後に最高裁判事になられましたので、最高裁裁判官も全くの「雲の上の人」ではないんだということは実感として分かるようになりました。
 そして、やっと、被上告人側の「口頭弁論」が終了しましたが、私も被上告人側のあまりの関係ない内容に腹が立った面がありましたので、手を挙げて「反論させて下さい。」と言って許可を得て、原稿はありませんでしたが、緊張しながらも、被上告人側の主張は政策論や到底無理な違憲論にすぎず全く説得力がないと反論を行いました。これに対しては、中にはうなずくような仕草をされる裁判官もおられて、心強く思いました。

9. 以上で法廷での手続きは終了しましたが、その後はひと仕事終えた安心感もあったので、最高裁の内部を見学することにしました。
 まず、最高裁の15名の裁判官全員で構成される大法廷を見ましたが、天井から自然光のトップライトが法廷内に降り注いで、さすが日本最高の法廷、神々しさと威厳が漂っていました。
 次に、図書館に行ってみました。これはご存知ない方が多いと思いますが、最高裁の図書館は法曹関係者であればだれでも利用できるとのことでした。図書館はとってもゆったりとしていて、蔵書が沢山あり、担当職員の方も3人もいて、立派なおそらくかなり高額と思われる大きな額装の絵も飾られていて、辺りには深閑とした静けさが漂っていました。正直なところ、こんな形で国民の資源があるのならば、もっと活用しなければ勿体ないと思いました。
 この日は初めての最高裁での弁論を経験し、所内の見学もできて、満ち足りた気持ちで裁判所を後にしました。

10. その後、H11.3.11に最高裁の判決が出ましたが、内容的には簡潔なものでした。
 本件争点については、「返済期日を単に毎月○日と定めただけで、その日が日曜日その他の一般の休日に当たる場合の取扱いが明定されなかった場合には、その地方において別異の慣習があるなどの特段の事情がない限り、契約当事者間に○日が上記休日である時はその翌営業日を返済期日とする旨の黙示の合意があったと推認される。(なぜなら)現代社会においてはそれが一般的な取引慣習になっていると考えるからである(民法142条参照)」、そして、「右黙示の合意があったと認められる場合には、みなし弁済の要件としての契約書面によって明らかにすべき「各日の返済期日」としては規定の約定によって定められた毎月○日という日が記載されていれば足りる」と判断しました。
 そして、広島高裁の判決はこの点で法令の解釈適用を誤っているので、これを破棄して、契約書面の交付の有無について更に審理を尽くさせるために、事件を広島高裁に差し戻すというものでした。
 私は、当方の逆転勝訴の結果は分かってはいた訳ですが、判決のあまりにも簡単な理由付けに拍子抜けした面がありました。果して「翌営業日に返済することでよい」というのが日本の社会において「一般的な取引慣習」と言えるのだろうか? それが「暗黙の合意」と言えるのだろうか? それはまさしく最高裁だからそんな理由付で結論を出せるのであって、司法修習生の答案だったらもっと論理展開しないと合格点は付かないだろうな、などと考えたりしました。
 しかしながら、理由はともあれ、結果的には満足すべき第1回目の最高裁での弁論でした。

11. その後は、広島高裁での差戻審となって、この件も私が担当しましたが、債務者側は以上のような最高裁判決が出てしまったので、差戻審では、「広島地方には最高裁が示したような取引慣習はなく、特段の事情がある」と反論しましたが、このような主張が通るはずもなく、差戻審も当方の勝訴となりました。

12. 以上が私の第1回目の最高裁での弁論の経験ですが、色々な事を経験することができて、本当に勉強になりました。また、一般民亊上の論点について最高裁の新判例を作ったという意味でも、大変貴重なものでした。

最高裁判所での弁論(その2) (2014.08.13)

 私が、2回目に、最高裁判所での弁論に関与したのは、最高裁H18.1.13判決(判例時報No.1013―106)、同H18.1.19判決などです。

1.この第2回目の関与も旧貸金業等規制法43条1項のみなし弁済に関するものですが、これらの判決は、後日いわゆる「グレーゾーン否定判決」として超有名になる重要判決でした。
 この判決の影響は重大で、グレーゾーンについてのみなし弁済が事実上否定された結果、債務者側から利息制限法上の制限利率にもとづく元本充当計算による過払金請求が爆発的に増大し、貸金業者は経営ができなくなり廃業が相次いで激減し、また貸金業法の規制強化の法改正につながるなど、日本の社会の各方面に重大な影響を与えることになりました。
 この判決に至る経過は次のとおりです。

2.最高裁での弁論(その1)で述べましたように、私の依頼会社は、平成11年にみなし弁済の成立要件について最高裁で逆転勝訴の判決を得ましたので、その後はみなし弁済の主張立証については盤若ともいえる体制を整えていました。その結果、全国の裁判所でもこの会社の主張立証はしっかりしていて隙がないと評価されるようになり、日本でも唯一みなし弁済の主張立証体制を整えている会社だとの評価まで受けるようになりました。
 また、私もこの分野では法律論や立証体制等の面で全国的にリードして行くくらいの気持ちでいて、色々と研鑽を重ねましたので、担当した裁判でも実績をあげていました。

3.ところが、やはり社会情勢には勝てないもので、大手貸金業者の利益が上がり過ぎ、一方で借金苦による破産、夜逃げ、自殺などの悲惨な状況が報道されるようになると、業者への批判が強くなって、次第に風向きが変わってきました。
 そのうち、債務者側の弁護士さんも何とかみなし弁済の制度を崩そうと色々な主張を主張されるようになりました。
 ①その中でも重要だったのは、まず、みなし弁済の要件のひとっとして債務者が「利息として任意に支払ったこと」が必要なのですが、貸金業者の契約書面には「債務者が毎月の分割金または利息の支払いを怠った時は、当然に期限の利益を喪失し、元利金を直ちに支払う」と記載されており、この「利息」という表現では、債務者は約定金利(グレーゾーン金利)を期日までに支払わないと期限の利益を喪失すると考えて、結果的には約定金利の支払いを強制されることになるから任意の支払とは言えない、という主張でした。
 これに対しては、私は、このような考え方によれば、結局は、貸金業者は債務者に対し利息制限法上の制限利率を超える約定金利については支払義務がないことを説明しなければならないということになるが、そのようなことは貸金業等規制法が予定しているところではない。そのような説明義務までは課されておらず、むしろ債務者側からのみなし弁済の仕組みを知らなかったなどという「法の不知の抗弁」は許されないなどと反論していました。
 また、上記のような制限の利益喪失条項の表現は、全国貸金業連合会の統一契約書も同様のもので、全国の殆どの業者はこの統一契約書を使用して業務を行っているので、このような考え方によれば、貸金業等規制法施行以来殆んどみなし弁済は成立しなかったことなってしまって、全国的に極めて重大な影響が発生することも主張しました。
 また、これは最高裁での弁論の際に主張したことですが、実は同法施行当時、最高裁民事局は全国貸金業連合会に統一契約書のひな型の提出を要請し、これを受けて、同連合会の役員が最高裁民事局の裁判官2名と面談してこの統一契約書も交付していたのです。そうすると、最高裁は統一契約書の内容については事実上是認していて、だからこそ長年の間全国的に使用されてきた訳ですが、それを今さら何十年も経ってから、裁判所が実はこの統一契約書の表現ではみなし弁済は成立しないと判断するのは、全くの背理ではないかとも主張しました。(なお、私にとっては、最高裁の民事局が、このように法律施行に当たって業界団体の統一契約書をチェックしていたということ自体が驚きでした。)
 以上のような双方の主張に対し、全国の多くの高裁判決は、当方側の主張を肯定して、債務者側の主張を排斥している状況でした。
 ②あとひとつの債務者側の主張は、貸金業等規制法施行規則(内閣府令)によれば、同法の領収証交付の要件である貸付年月日等の記載については契約番号を記載することを以てこれに代えることができるとされているが、これでは債務者はどの借入金の分の領収証なのか分からず不利益であるから、この内閣府令の規定は同法違反として無効である、というものです。
 これに対しては、私の方は、債務者はそう数多くの借入をしている訳ではなく、契約番号を明示すれば借入契約を特定することができるので、内閣府令の規定は不合理な規定ではない、また、全国の業者はお上が作った内閣府令は当然に有効なものと信じて業務を行っており、それゆえ金全連の統一契約書もこの内閣府令にもとづいて作られているのに、それを無効と判断するのでは、同法施行以来実はみなし弁済は一件も成立していなかったということになってしまって、極めて不合理な結果を招くので、そんなことは到底認められるはずもない、などと反論していました。
 以上のような双方の主張に対しても、多くの裁判所は当方側の主張を肯定して、債務者側の主張を排斥している状況でした。

4.このように、当方が圧倒的に有利な状況の中で、債務者側から自分達が敗訴した高裁判決について何件かが上告申立て等がなされた訳ですが、この件についても、また私が主任となってかなりの量の反論の書面を最高裁に提出しました。
 私としては、各地の高裁での判例状況からして、最高裁でも大丈夫だろうと安心していた面がありました。
 ところが、その後、何と、最高裁から弁論期日開催の通知が届いたのです。弁論が再開されるということは、当方が勝訴している高裁判決が破棄されるということですから、これには本当にびっくりしました。
 そして、最高裁は一体どんな理由をつけて、原判決を破棄するのだろうか?と考えていました。
 この時の最高裁の弁論期日には、当方が出席していくら弁論しても無駄で、逆転敗訴することが分かっていますので、出頭はしませんでした。

5.最高裁の判決は、①ここで問題となっている期限の利益喪失条項の表現によれば、債務者は約定の期日に毎月の分割金と約定金利(グレーゾーン金利)を支払わないと期限の利益を喪失するものと考え、この不利益を避けるために約定金利の支払を事実上強制することになるので、任意の支払とは言えない、②同施行規則(内閣府令)の規定は同項所定の要件を変更しており、法の委任の範囲を逸脱した違法な規定であるから無効である、というものでした。
 私としては、全く納得の行かない判決で、そうであれば貸金業等規制法のみなし弁済の制度とは一体何だったのかと思いました。最高裁が、法施行以来続いて来たみなし弁済制度を事実上否定したことになるからです。特に、国が作って業者にこれに従って業務をするように厳しい指導をして来た内閣府令の規定そのものが違法で無効であると判断したのですから、全く前代未聞の判断でした。
 大学時代の刑事政策のS教授が授業中に「理屈と膏薬はどこにでも付く」と言っていましたが、司法の場でも、まずは社会状況を踏まえた債務者救済という政策判断が先にあって、これを導くための理論構成や理由付けは簡単にできてしまうという面はあると思います。この判決でも、おそらく上記のような当時の社会情勢を踏まえての政策判断が先行していたものと思います。
 その証拠に、この判決を出した最高裁第2小法廷の裁判長だったT裁判官は、弁護士出身ということもあって、最高裁判事退任後に朝日新聞の特集インタビューに応じられて、自分が関与した重要事件についてコメントされていましたが、この判決については、債務者救済に向けて政治が動かなかったから裁判所が判断をした旨の解説をされていました。やはり時代の流れには勝てなかったのです。

6.私の依頼会社は、先を見越して、平成13年頃には、大手上場会社との大規模なM&Aにより殆どの業務を営業譲渡していましたので、このグレーゾーン否定判決による影響はそう大きいものではありませんでした。
 しかし、この判決は社会的には前記のとおり日本社会の各方面に重大な影響を与えることになり、日本の金融システムの変換や法改正などにまで繋がって行きました。
 敗訴の結果になってしまったとはいえ、このような重要判決の手続に関与して議論を闘わせたことは、本当に貴重な経験となりました。